日々の事
by de_hond
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たぴとたび
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今回の旅のおともは、メイドでおなじみタピちゃん♥
彼は大学でドイツ語を趣味程度に専攻していたにも関わらず、人生初ドイツ◎
建築とインダストリアルデザインを勉強しているので、建物・空間・機械的なものに目がない。自分の興味にどんぴしゃな物を発見すると、何かスイッチを押されてしまった様に、写真を取り出し黙々と思考しだしてしまう。そのスイッチが入った瞬間の写真がコチラ↓ケルンでスイス人、ズンドーさん作の素晴らしい美術館を街を歩いててたまたま見つけ、驚喜に狂い写真を撮り始めるタピちゃんのその写真1枚目にたまたま写った私。私の顔を見れば、彼の異変具合がわかるのでは???
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この一週間のドイツタピタビ。

私はずんずんずんどー変わっていく自分を感じた。
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つづきはここだー
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by de_hond | 2009-12-27 07:03 | Trip
ゆきとゆき
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今年も去年に引き続き、ドイツのクリスマスマーケット巡りタビにタピちゃんと行ってきやした。
去年はブレーメン、ハンブルグの3泊4日でしたが、今年は規模を少し大きく、ベルリン〜ケルン〜デュッセルドルフの6泊7日でやんした◎◎◎何もかもが腹八分目な感じに良い塩梅で素晴らしい時間を過ごせました。
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ベルリンでは毎度おなじみYUKI師匠の9人住まいのおうちでお世話になり、師匠の高校時代の先輩もたまたま旅の途中で居合わせ、彼繋がりの友達にも出会い、短くも満つな思い出になりました。しかもその出会った人々の中に、ロッテで友達になった草木花世の先輩にもたまたま会い、これまた世界の小ささと偶然必然のパワーを感ずる。そしてYUKIのフラットに住むマリルー姉御が去年と同じくベットを貸してくれて、とても快適な滞在に。。。素晴らし過ぎる人物マリルー。昔食べたマリルーのケーキの話をしたら次の日、そのケーキを作ってくれた。ガトーショコラ的なケーキなのだが、人生で食べたケーキの中で一番おいしいのだ。4年前にレシピをゲッツしているので、いつかオーブンのある家に住んだら作ってみたい。

つづきはここ栗
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by de_hond | 2009-12-27 02:58 | Trip
飛び出せエダマメ
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最近やっと今年の4月に両親に持って来てもらった書道セットを使いだした。
やはり、書道は良い。
心は落ち着き、精神統一になる。
お手本はない。お手本は自分の頭と心の中。
その瞬間の独創性につきまとわれ、そしてはらって、みつめる。

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ベビーというか少年シッターを最近またやりました。大きくなりました。せんちゃん!
ってこの写真じゃ全然わからんね。
でもこの日は私の椅子であるブルーのバランスボールでサッカー遊びっても部屋の中。
ただでさえ物が多い私の部屋、一キックのたびに何かが落ちたり倒れる。
でもまー楽しいからいっかと思っていたのもつかのま。。。
なんと梅の枝のカビンが倒れ、布団がびしょびしょに!
でもパソコンとカメラは私が必死に確保したので、無事。
なんて馬鹿なわたし〜。でもヒーターパワーですぐかわく。

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ノルウェーから仲の良い草が来る。
2泊という短い滞在なのに、彼の最大目的であるダンスを見るという行為が一つ叶わなかった。
ショーックしょーっくショーック!
でも、最後空港でお別れの時に、なんだかんだ言ってよかったというわけのワカラン結果に落ち着く。
彼とはよくスカイプして話すのだか、やはり実際に会うと良くも悪くも、色々伝わり方が違ったりして、
なかなかなかな!
今度は私がノルウェーへ訪ねたい。
写真をとってくれたまなみちゃんに感謝。せっかく久々だったのに、すぐに帰ってしまい申し訳なかった。

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12月5日はオランダのクリスマスだった。
アムスで友達の彼が働くパンネクーケンショップでパンネクーケンを食べた。
おいしいがチト高いよね。でもおいしい。今度は自分でつくってみよー。
シンタクロース(サンタさんみたいな)の使いのズバルトピート(黒のピート)の格好をした友達の彼に黒いファンデーションを顔に塗られた!なんてことするんすかー!!!!でも帰り道、色んな人々が私たちをみて微笑んでいた。まるで二人を祝福するように。

ほのぼのな時間。
師走でそんな時間ないみたい、というかほのぼのしてたら色々後でつけがまわってきてしまいそうですが、
いつでもこの感じと一緒にいたい。
私には無い、素晴らしさ。自己嫌悪になるたびに人の良さを知れる。それなら自己嫌悪になるのも悪くない。

さーて、サンタさんは何をくれるかな?


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by de_hond | 2009-12-17 12:58 | Life
ウェブ上、翻訳サイトでの伝言ゲーム
研究とは自分の考えを述べるものであるはずである。しかも、印刷して他人に読ませる論文である以上、述べられている筆者の考えが、それ以前にあった他人の研究とは対立し、それらを批判し、それにまさっている点を明らかにしていなければならない。つまり、まさにその筆者でなければ考えられなかったことを読者に伝えるための論文なのである。論文とは、ある問題について、今までの学会での研究成果ではなぜいけないのか、自分はそれに代わって何を明らかにするのかを明瞭に書いたものでなければならない。

Research is the expectation which is something which express your own thought. Furthermore, printing, above being the dissertation which you have others read, thought of the writer who is expressed is opposed, research of others who are before that those are criticized and the point where it surpasses to that must be made clear. In other words, if just it was not that writer, it is dissertation in order to convey the fact that you could not think to the reader. Dissertation, concerning a certain problem, whether with the research result at present academic society why without being good, by your you must be something which is written whether what is made clear in place of that clearly.

研究は何かの予想であるあなた自身の思考を表現する。なお、あなたが読んで他の人々をもらう論文であることの上の印刷は、反対される、前に人々は批判されるポイントことである他の人の研究明らかに作られなければならないかそれに越えるところで表現される作家について、考え。すなわち、ちょうどその作家でなかったら、それは論文読者に考えることができなかったという事実を運ぶためにである。あなたのによってよい、なしにはっきり明らかになされる何がそれの代わりにかどうか書かれている何かでなければなぜならないか論文、ある特定の問題に関して、かどうか研究結果の現在学術の社会と。

As for research your yourself thought which is some expectation is expressed. Furthermore, you reading, printing with respect to the thing which is the dissertation which receives the other people is opposed, research of the other person who is the point thing where the people are criticized before you must be made clearly, being about to exceed to that, concerning the writer who is expressed, thought whether. Namely, when exactly it is not the writer, that is in order to carry the fact that it could not think in the dissertation reader. Although you it is possible to depend, whether or not something which dying clearly you can do clearly if it is not something which in that substituting is written, because whether it is not, whether or not presently of the research result in regard to the problem of dissertation and a certain specification, society of science.

あなたのとして研究あなた自身のためにあるかどれが考えた予想は表現される。なお、読書、他の人々を受け取る論文である事に関する印刷、はっきり作られなければならない前に人々が批判されるポイント事である他の人の研究考えた表現される作家に関してそれに、超過することを反対され、かどうか約ある。即ち、丁度のは論文の読者で考えることができなかったという事実を運ぶためである作家ではない時。それ依存して可能であるが論文の問題に関する研究結果ではないかどうか代わりになるそれに書かれる何かでなければはっきり死ぬことがはっきりすることができる何か、ので、かどうか現在およびある特定の指定、科学の社会かどうか。

The expectation which either one thought whether it is your yourself because of research, as you is expressed. Furthermore, printing regarding being the dissertation which receives book-reading and the other people, you must clearly be made, before, to that, exceeding it is opposed in regard to the writer whom research of the other person who is the point thing where the people are criticized you thought and is expressed, whether or not approximately is. Namely, exactly as for, it could not think with the reader of dissertation, when being the writer who is in order to carry the fact that. That depending it is possible, but whether or not whether or not it is not the research result regarding the problem of dissertation if it is not something which is written on that it becomes substituting, something which can be clear that it is clear, because, whether or not presently and society of appointment and science of the specification which is.

表現されるように、研究のためにあなたのあなた自身であるかどうかどちらかの1つが考えた予想。なお、それに、それを超過することがおよそあるかどうか、人々が思考批判され、表現されるポイント事である他の人の研究作家に関して反対される前に、本読書および他の人々を受け取る論文、であることに関する印刷はっきり作られなければならない。即ち、丁度に関しては、それは論文の読者と事実を運ぶためそれである作家である考えることができないとき。依存するそれはそれ、かどうか現在任命の社会およびある指定の科学のでそれは明確であることなければそれが論文の問題に関する研究結果ではないかどうか可能、それで書かれている何かはそれ代わりになっているようになるかどうか、明確の場合もある何かであるが。

As expressed, whether or not for researching he is your you yourself, the expectation which either one thought. Furthermore, whether or not to that, approximately there are times when it exceeds that, the people are thought are criticized and before being opposed in regard to the research writer of the other person who is the point thing which is expressed, the dissertation which receives this book-reading and the other people, printing regarding being you must clearly be made. Namely, that in order to carry the reader of dissertation and fact, is the writer who that is in regard to exactly, and when being possible to think. Because that it depends that, whether or not presently society of appointment and the designated science which is if being clear it is not that, whether or not it is not the research result that regarding the problem of dissertation whether or not possibility, something which is written with that reaches the point where it becomes that substituting, when it is clear, it is something which is, but.

研究が彼のためにあなたのあなた自身であるかどうか表現される、予想どちらかの1つの思考。それへの、およそ、人々は表現されるポイント事である他の人ことをの研究の作家に関して反対される前に批判される考えられること超過する時があるかどうかなお、この本読書および他の人々を受け取る論文は、であることに関する印刷はっきり作られなければなり。即ち、それは論文および事実の読者を運ぶために、考えること可能があった場合人が丁度に関してである、作家であり。それはそれことのは論文の問題に関する研究結果かどうか可能性ではないかどうか、かどうか現在任命の社会および明確であることがそれと書かれている何かはそれは明確なとき代わりになることにそれはなるポイントに、達することでなければそれである指名科学依存するので、ある、しかしである何か。

Whether or not research because of that is your you yourself, it is expressed, expectation either one thought. When, approximately, people the other human thing which is the point thing which is expressed before being opposed in regard to the writer of research, being criticized to that and being thought exceeding, it is or, how kana, the dissertation which receives this main book-reading and the other people becomes, if printing regarding being it is not clearly made. Namely, that when in order to carry the reader of dissertation and fact, the thing possibility which is thought it is the person is in regard to exactly, it is the writer. Whether or not as for that as for that thing the research result regarding the problem of dissertation whether or not it is not possibility, if whether or not presently society of appointment or the fact that being clear that as for something which is written as for that when being clear, does not mean reaches to the point where that means to become substituting, because the designation science which that is it depends, what which is, but is?

研究はこのような理由であなたのあなた自身であるかどうか、予想どちらかの1つの思考表現される。、およそ、人々が研究の作家に関して反対される前にkanaが、それであることに関する印刷がはっきりなされなければこの主要な本読書をおよび受け取る論文他の人々いかになるか表現されるポイント事である他の人間の事、そのに批判されてそしてで考えられた超過のそれまたはある時。即ち論文および事実の読者を運ぶため、それ考えられる事の可能性が人のとき、それは丁度に関して、それである作家ある。その事に関してはそれに関しては論文の問題に関する研究結果それ可能性ではないかどうか、かどうか現在任命の社会かただそれだけ左右される指定科学が、あるが、ある何ので、明確であるそれに関してはその代わりになっているようになることを意味するポイントに、意味しない範囲を書かれていた場合何かに関しては明確がことある事実かどうかか。

Whether or not research in this kind of reason is your you yourself, expectation either one it is thought is expressed. If, approximately, the people before being opposed in regard to the writer of research, kana, you cannot do printing regarding that being clearly, thing of the other human who is the point thing which is expressed, being criticized by that, and that of the excess which was thought the dissertation other people who this principal this book-reading and are received how it becomes, or at the time of a certain. Namely in order to carry the reader of dissertation and fact, that when possibility of the thing which is thought is the person, as for that in regard to exactly, there is a writer who that is. In regard to the whether or not it is not that possibility of the research result regarding the problem of dissertation in regard to that, whether or not presently society of appointment there is a designated science which just that is influenced simply, but whether or not because what which is, in regard to that it is clear to however when in the point which means the fact that it reaches the point where it has become, you have written the range where it does not mean the fact where clearness is a thing in regard to something?

この種類の理由の研究はあなたのあなた自身であるかどうか、予想はどちらかそれが考えられる1つ表現される。はっきりあるそれに関する印刷をすることができなければ、およそ、研究、kana、の作家に関して反対される前の人々が表現されるポイント事である他の人間の事、論文をいかになるかこの校長がこの本読書そして受け取られる他の人々考えられた超過分の、または確かのの時のそれおよびそれによって批判される。丁度に関して即ち考えられる事の可能性が人である時論文および事実の読者を、それに関してはそれ、運ぶため、人がの作家がある。に関してなったポイントに達するという事実を意味するポイントに、清らかさが何かに関して事である事実を意味しない範囲を書いたらそれがしかしに明確であるあるそれに関して何それがそれに関して論文の問題を見なす研究結果のその可能性ではないかどうかかどうか現在そこの任命の社会はちょうどそれ単に影響を及ぼされるある指名科学、かどうかのでであるがか。

Whether or not research of the reason of this type is your you yourself, expectation as for one where you can think that which it is expressed. If it is not possible to do printing regarding that clearly it is before being opposed approximately, research and kana, in regard to the writer, thing of the other human who is the point thing where the people are expressed, the other people where this principal this main book-reading and is received dissertation when the excess amount which was thought how it becomes, or is certain, it is criticized with that and that. To exactly in regard namely when possibility of the thing which is thought being the person the reader of dissertation and fact, in regard to that, in order to carry, the person is a writer. The range which does not mean the fact which when is thing clearly and others the umbrella in regard to something is written on the point which means the fact that it reaches to the point which becomes to in regard, only that to die, it is clear, whether or not some that it is not the possibility of the research result which considers the problem of dissertation in regard to that, in regard to that it is whether or not because presently society of the appointment over there exactly that a certain designation science which simply is exerted influence, whether or not, is, but?

このタイプの理由の研究はあなたのあなた自身であるかどうか、表現される考えることができるところ1つに関しては予想。によっておよそ反対される前にはっきりあるそれに関する印刷をすればことは可能でなければ、いかになるか考えられた超過量は、または確かなとき人々が表現されるポイント事の他の人間の作家、事、他の人々に関する研究そしてkanaは、この校長この主要な本読書および受け取られた論文である、それおよびそれと批判される。 丁度に点で即ち運ぶために考えられる読者事の可能性が人論文および事実の、そのに関して、である人作家である場合の。事および他がはっきりある場合のそれはそれに関して論文の問題を考慮する研究結果の可能性ではないことそれに関していくつか、それがかどうかので現在出された影響単にであるある特定の指定科学が、かどうか、である、しかしである任命の社会向こうに丁度かどうかそれ死ぬために、それ明確がある、点でになるポイントに達する事実を意味するポイントで何かに関する傘書かれている事実を意味しない範囲、か。

オリジナル文: 宇佐美 寛「論理的思考」
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by de_hond | 2009-12-07 07:54 | EIGO
んぶんろ
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著作権をはじめとして、現代の私たちは「独創(オリジナル)にこそ価値があり、模倣(コピー)は許されない」という価値観に縛られている。しかし、伝統文化を振り返れば、個性豊かな表現は先達の芸や作品を模倣することから生まれた。西洋美術、浮世絵、写真、連歌、インターネット、マンガ・アニメなど題材に、近代的な価値観に過ぎない「独創」神話の矛盾を解き明かし、模倣を楽しむ「再創文化」の意義を問い直す。

と、裏表紙の文言を模倣してみる。


と、『日本文化の模倣と創造—オリジナリティとは何か』(山田 奨治)という本のミクシーレビューに書かれていた文を模倣してみる。

あと、半年で卒業を控えた私は、今卒論という魔物に襲われている。しかも、最近やっと真面目に取り組み始めた。ら、すごく面白い。何が面白いかっていうと、テーマについて調べたり、考えたり、人と話したりする事が。そのテーマは何かっていうと、この山田さんの書いた本に結構似ていそうな感じ。日本文化を振り返ったりする内容ではナイヨウ。内容は、オリジナリティとコピーに関することについてです。これを考えだすきっかけになったのは、この前の9月に企画・参加した「掻っ払い展」の展覧会コンセプトから。
簡単に説明すると、私の仮説では、この世の全ては模倣で成立していて、オリジナルなんて存在しないと言う事。しかし、人の作品等をマネして創る事はタブーとされている。なぜマネはいけないの?インスピレーションという言葉に置換えれば、マネしてもいいわけ?結局、模倣の模倣の繰り返しで、本来のオリジナリティなんて人間が形成された時代までさかのぼらないと見つけられないのでは?じゃあいっその事、盗作する事を前提として作品制作をしてみましょう、という事で始まった「掻っ払い展」。強奪ということを深く深くほっていくと本当に奥深くなっちゃって、色々思っても見なかった討論が展覧会参加アーティストとできた。それだけど、展覧会の形として出てきたものは、何かその面白さとリアルさに結構欠けてる感じがした。そして、自分の中でもオリジナリティとは一体何者なのかという疑問が残ったままになっていた。ので卒論のテーマにしてみたのです。
それ以外にも、今の学校に在学中に気が付いた、作品をドキュメントする矛盾感と嘘っぽさと嫌悪感と面白さ、みたいのにも、このオリジナリティというキーワードはズゴーンと関わってくるわけで。自分の制作論文にも勿論成り得るテーマなのでございます i hope。

でも実は今学期の下書き〆切みたいのがあと2週間弱後って事を2日前ぐらいに知り、わしゃしゃわしゃしゃと今から本腰を入れ始めました。コツコツ型でない姿勢はなかなか直らない物ですね。でも、この2日でググーンと色々面白い関連内容をみつけまくっていて面白いです。でも、ただでさえ脱線saeな私は、脱線して暴走している感じです。水平思考にも程があるでしょって感じなので、材料がモリモリ集まってきた所で、いったん脱線して走り続けている列車のハンドルを切りかえ線路に戻る感じに、頭を切り替えようとブログの更新となったのであーる。
今は哲学のイデア論とかミメーシス(擬態)とか普段なら全然頭に出て来ない言葉ばっかり出てきて、いつも使ってない部分の脳がうっひょーーーと叫んでいるのが聞こえます。わりかし気持ちいい感じです。論文の書き方なんかのサイトも熟読したりして、そして「論文を書く」という行為自体が、オリジナリティと関わってくると気が付き大興奮していたり。どこかでキリをつけていかないと永遠リサーチできそうな、テーマ。でも今と全然世界が違った時代に、既に私が想った事を考えてた人がいたなんて、世界は不変なのだね〜。不変なんて信じないと思ってたのに、そうでもないかもね意外と。

ところで誰か「Chinese whisper(伝言ゲーム)」がなぜ英語では中国人のひそひそ話という訳になるのかご存知の方いらっしゃいますか?知っていたら、コメントお願い致しますーう。
今日も友達に論文の事を説明していたのですが、この伝言ゲームについての例が面白いね、と言われて、興味深いコメントももらったので、頭を整理するためにもここにウガーと書いてみます。

伝言ゲームはまるで、作品をドキュメントする行為と似ている。始めに元=オリジナルとなる言葉があり、それを直接聞いた人が、横にいる人にジェスチャーや何かを使い伝えていく。そしてそのオリジナルの言葉がどんどん変化して、直接聞いた人から一番遠い所にいる人に不確実な情報が伝わる。作品をドキュメントするのもそれと似ていて、例えば私のようなパフォーマンス作品を制作する人の多くは映像でドキュメントする。だから
映像という存在が伝言ゲームでいうと、直接聞いた人の隣にいる人。そして、それが美術館で長される。そして鑑賞者が見る。←これがまたその隣の人。そして、その人が学校で昨日美術館で見た作品の話をする。←これそのまた隣の人。それを聞いた友達が、作品を想像し(←これがまたその隣の人)創造する。=再創(←これがまたその隣の人)
伝言ゲームは模倣の繰り返し・レイヤーで成り立っていて、作品をドキュメントするという行為も、実は自身の作品を模倣しているということになる?
そこで、今日のお友達O氏は「その模倣の繰り返しの中で、何が残り、何が消えていくという点が興味深い」とコメントをくれた。うん、面白そうっす。よく、作品を口で人に説明する時に、要点や面白い点などを掴み出してササッto喋っている自分は、無意識に作品を編集している。その時に自分が省略してしまった箇所は本当は無駄な部分だったのか。それとも口で説明する事に向いていない事なのか(内容と、それを通す媒体のコンビネーション)。不確実な情報伝達は何をもって不確実なのか。過去のリアリティと比べると不確実になるかもしれないが、その瞬間の中では、それが現実で事実なのであるかもしれんんんんんんんんんーーーーーー

ことばことばことば〜

あたまいっぱいで、この歌が流れてきて、たすけてくたみおありがとー

[PR]
by de_hond | 2009-12-03 09:42 | WdKA


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